小中学校で掃除の時間ってあるでしょう。僕はいわゆる優等生という奴だったので掃除も真面目にやる性質だったわけですが、不真面目な、突っ立ってお喋りしてたり竹箒でチャンバラしてるだけの連中を見ても特に怒りを覚えたりはしませんでした。何故かというと、この時間って馬鹿馬鹿しいよなー子供がボロっちい道具使って雑にやっても大して綺麗にならないんだから教育のためとか欺瞞的なこと言ってないで業者呼べよと思っていたからというのもありますし、そもそも明らかに面倒くさいじゃないですか、掃除。こんなのみんなでやらんでもやりたい奴だけでやってりゃいいよなと思ってました。むしろ先生に不真面目な人が怒られてるのを見て申し訳ないようななんとも嫌な気分になっていたのを思い出します。これに限らず僕は先生というものを好きになれたためしがありません。



ところでこれブコメなんですが、hokusyuさんが結果平等と言った時に何を想像したのか知りませんけども、みんな「俺より努力してない奴は俺より不幸になって当然」って言いたいんですかね。


もちろん努力した人が報われるのは大変素晴らしいことですが、そこから「努力しなかった人は不幸になっても仕方ない」が導かれるというのはなんだか不自然なことです。そういう人は自分より「努力した」*1人からの搾取には唯々諾々と従うのでしょうか。まあ実際ほいほい従ってる気もします。自覚なく。

*1:わざわざ書いておくと、括弧がついてるのは機会が真に平等であることが前提になっているからです