mixi批判を批判するスレ @ILiYaN

昨日mixiものすごく簡単に批判していましたが、文学部的な視点イリヤン的視点(人外)から考えていきましょうか。




mixi利用者はざっとみても大学内部でも2、3割はいると思われる。(例えばクラス担当がmixiやってたりするわけだ)
そんなmixiだが、マスメディアに対抗できる能力はまったくない。(ヤフーやグーグルみたいなポータル系サイトもマスメディアとして考えてくれ)


最初に断言しておこうか。ブログやmixiは情報の入手・交換に適したツールでは決してない。もし君なら交換日記を使って自由研究を仕上げるかい?(もちろんネタは転がってるかもしれないけどね)
コミュニュケーションツール、という認識が一般的かもしれない。日記がコミュニケーション? 笑っちゃうね。
確かに交換日記はツールになるかもしれない。それはクリエイトする部分を共有することができるからだ。決して内容において他者と関係を深めているわけではない。


結論から言おう。ブログやmixiマスターベーションでしかない。mixiというアパートの部屋で、自己満足の世界を構築しているわけである。(”どうぶつの森 ”といったゲームと同じさ)
開放する、という点において普通日記以上の快楽が得られるだけなのだ。


ああ、これではmixi批判に見えるかもしれないな。そうじゃないんだ。
ゲームと存在と同様に、mixiという存在は認めることができるだろう? っていうことさ。
ゲームがニュース番組と違うように、mixi、Blogは広域双方向情報交換ツールとは異なってくる。(いわゆる情報系のサイトってやつね)
その辺を把握した上でmixiを温かい目で見てあげよう、と言いたいんだ。(ブログもね)



以上すべて、ネットゲーマーから見ての発言。
ネットゲームを批判的に見れば、mixiとかブログの存在価値なんてない。(だってチャットとしてすら役に立たないんだ)
クリエイティブな部分を利点とするならば、公開するのはデメリットでしかない。制限限定的な部分がでてきてしまうからね。(もちろん、批判を前提とした内容なら話はかわってくる。日記を批判されたいなんて、ねぇ?)
そして、こういった意見表明をしたい場合だったとしても、内輪にした伝わらないから何の意味ももたない。そんなブログやmixi。(こんなオチはどうだろうか)



追記:
おとなりブログより、一部コミニュティーではmixi参加が義務となりつつあるらしい。へーへー。
個人的に気に入ったので紹介しておく。


>9/11 街(Mixi村)はお前らを認めねえぜ(dobusaraiさん)
http://d.hatena.ne.jp/dobusarai/20060911