コードギアスのお話
『【TBSアニメ】「コードギアス 反逆のルルーシュ」のプロデューサーが朝鮮総連と深い関わりを持っていた』 :痛いニュース さん
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/818732.html


竹Pとかいう人の話。先日、どうでもいいじゃんと書きはしました。BLOOD+種デスがつまんないと言われているのはそれ以前の問題なんじゃないかと。ですが、よく考えたらアバンタイトルのナレーションが基本設定をグダグダ垂れ流すだけだった所に悪名高い竹田さんとやらの影響は出ていたのかもしれません。



俺はアニメに反戦・反米といったテーマを持ち込むこと自体は悪いとは思いません。あらゆる表現が必然的に政治性を帯びるなかで、これだけがダメと言える論理はありません。ただ、扱ってしまうと作品がつまらなくなるテーマというのはあるものです。アニメではないですがkey作品なんかいい例で、毎回巨大すぎるテーマ(家族とは?『永遠の愛』はあるか?など)を持ち込んでは扱いきれずに自滅しています。他のブランドの作品ではFateとか。逆に意図的な破綻を狙うという高度な戦略性を持っていたのがクロスチャンネルあたりでしょうか。
この世のあらゆる作品は妄想です。誰もが現実に満足しているんだったら創作活動なんてやるわけありません。「反戦・反米」はあまりに妄想になじまない。星の王子様が「アメリカうぜえ」とか言い出したら確かにダメだわな。「反戦・反米」テーマ自体を嫌うのは馬鹿馬鹿しいとは思います。でもそれをやった作品の多くが駄作になってしまうのも事実なんでしょう。
じゃあどうすればいいのかと言ったら、単純です。単に詳しく詳しく詳しく描写すればいいのです。本当に描写の対象が批判するに足るものだったなら、それで十分批判になるはず。戦争映画で人が銃弾食らってバラバラになるシーンを見て「ひゃっほーう!戦争最高!」とか心底から思える人なんてヘルシングの少佐くらいでしょう。映画「太陽」だって監督は日本大好きだって話だし。
要は、竹Pさんとやらは戦略を間違ってるわけですねえ。結局、コードギアスがつまらなくなってもしょうがないという結論に達してしまいました。最初は擁護するつもりで書き始めたのに。ま、決してあきらめたわけじゃありませんよ。俺はまだ、スタッフさんが「反戦・反米」のテーマをちゃんと噛み砕いて消化・吸収してくれること、あるいは巧妙に排除してくれることを期待しているのです。



○アニメの評価について(ここからは一応別の話題です)
例えば。
俺はS=Rという作品の隅々からにじみ出る意図を汲み上げ、それらの繋がりの中から「見えるものと見えないもの」というテーマを感じ取りました(最終的な感想・考察は書き途中。Cさんの解釈の劣化コピーになる可能性が高くて怖がってるところです)。ですが、俺の読み取った意図が書き手の意図と一致しているとは全く考えていません。そもそも「書き手」と呼べる人が複数存在するのに、こうまで美しい構成が組みあがるでしょうか。俺はなんらかの偶然が働いたのだろうと考えます。でもだからといってS=Rへの評価自体を下げはしません。点数で言えといわれたら迷わず100点満点をつけます。つまり、書き手のご機嫌を伺って(書き手の意図を想像してそれに絶対服従して)作品を読むのは間違っていると思うのです。要は、作品を見て自分がどんな意味を引き出せるかなのですから。
そう考えると、上の記事のような原因でコードギアスがつまらなくなったとしても、「本筋自体はよかった。悪いのは竹Pだ」という擁護は、したくなるでしょうが、できそうにありません。自分で言った理屈に反します。