シンフォニック=レイン終了。以下ネタバレあり

感想を書くにはもう一周ぐらいしないとだめぽ。
まぁとりあえず「便利な言葉だよ、双子って!」


−ここから追記 大きくネタバレ有−
リセルート2回目をやってみましたよ。とりあえずその感想をば。
私にとってリセは他のキャラ(主にヒロイン)たちに対する皮肉というキャラ付けが一番しっくりくるものでした。
いろいろな設定が他のキャラと対照的なので。とりあえずそれを箇条書きに列挙してみます。


・ビジュアル面・・・ヒロイン全員の中で一人だけショートカット。あと髪の結びがトルタと逆。
・音楽の才能・・・ファルにしろトルタにしろ音楽(ここでは主に歌)に対しては努力をしている。アルに至っては全く才能がない。それに対しリセは才能だけで努力はほとんどしていない(出来ない所為もあるが)。
・リセエンヌ・・・他の二人の曲(秘密、雨のmusique)は歌詞に雨(雨はここでもクリスの心境の暗喩?)を連想させる言葉(グレイの空、傘、雫、雨etc)が入っている。さらにクリスに対する愛を歌った歌であると解釈ができる。対してリセの曲は晴天を連想させる語(木漏れ日、陽射し、星が瞬く)が含まれており、愛を歌った歌というよりも自分のことを歌ったかのような歌詞(教室の隅・・・)が目につく。少なくともクリスのことは歌詞の中に出てこない。さらに原曲のほうはゲーム中でも語られている通り愛を歌った曲であると何度も示されているので、この曲の詞が自分(リセ)のために作られているということが強調されているのでは? つまり伴奏(クリス)は他者への愛を奏で、歌(リセ)は自己愛を歌っているという皮肉なんじゃないかと深読みをしてみる。
・リセの病室・・・リセの病室は2階の角部屋。アルの病室は212号室。2階の部屋数が10個でキリがよかったとすると、リセの病室=アルの病室の図式が成り立ちます(204号室、209号室はないと考えるため)。まぁ単純に階が同じであったから部屋も同じであったと考えてもよさそうですが。そう考えるとこれはアルに対する最大の皮肉にもなります。同じ部屋にいたのに3年間最愛の人が傍に居らず、症状が回復することなく死んでいったアル。それに対し最愛の人(少なくとも自分の居場所)にずっと傍にいてもらい、最終的には歌うことが出来るようになったリセ。すばらしい皮肉であると同時に、トルタが「これって贖罪のつもりなの?」と言ったのが肯ける設定ですね。


まぁ対称の話はこれくらいでリセルートの内容で気になったところを日付順に。コクェモモが書いたところは飛ばします。
13日、失敗したクリスに助け舟を出すファル。ファルはリセのことが嫌いだということを考えるとここでの行動はクリスへの好感度を上げるためのものではないか。この日の分の助け舟を出した時点ではまだ自分はクリスのパートナー候補だと思っているわけですし。
15日、アーシノの台詞「周りを信用するな」。17日のファルの台詞への伏線?
17日、ファルの助け舟パート2。コクェモモも書いていたが、ファルが少なくとも17日の助け舟を行うことに対するメリットはないかと。
1日、トルタアル「嘘のやさしさは、相手を傷つけるだけだって、クリス・・・」いったいどんな気持ちで書いたんでしょうか。
日付不明、「話しかけることが重要だとお医者様は・・・」。なぜアルの時にはそのアドバイスをトルタやクリスに出来なかったのか。まぁクリスには無理があるか。「ただリセがそ側にいるだけで、僕はそれで構わなかった」。アルは側にいなくてもよかったのに?
「Hello!」、「リセエンヌ」とは一転してクリスへの愛の歌(愛でなくても少なくともクリスと自分の歌)としてとるしかない。曲名が「Hello!」なのはここに来てクリスへの愛が芽生えたからか。「あたたかなRaisin bread」と「甘い Hot chocolate」はシナリオの内容から解釈すると昼食の時のパンと、自宅来訪時に出した飲み物のことをさしていると考えるのが妥当かなぁ。トルタのことを指しているのだとしたら、クリスをゲットしたことからくるトルタへの皮肉?
ラスト、「最近は、こうして僕が来るだけで、リセは嬉しそうな顔をするようになった」。前述したクリスへの愛の芽生えによるものか。「歌詞のない歌を・・・恋人に捧げる曲」。歌詞がないからこそ恋人に捧げる曲なんです><。リセ歌う。ここでのクリスはもう幻覚を見ていないから「そして明日は希望に満ち溢れていた」の「明日」はクリスとリセの「明日」であると捉えることができるかな。


ちょっと穿って読みすぎた感があるなぁ。もう一回やるしかないか。ここは違うんじゃないか等の意見があったらコメントにでもよろしくお願いします。