以下四件、痛いニュース さんより。


『「受験に役に立たない科目に、これから無駄な時間使うのは…」"卒業ピンチ"の東大志望生徒、怒り…必修科目の未履修問題
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/836688.html
『【卒業絶望?】森元首相「(生徒は)かわいそうだ。もう一度授業を受けさせるようなことは必要ない。寛大な措置を取るべきだ」 』
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/838278.html
『【履修不足】「学校ふざけるな」「最悪。補習は出席しない」 受験生ら、怒り 』
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/839040.html
『【教育】西武学園「オーストラリアへの修学旅行参加で"世界史B"を履修済み」…県学事課「無理がある」 』
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/840679.html


こういう問題自体は、まああるだろうなあとは思っていました。



ニュースの発生の仕方もいつもどおり。ある集団内では常識のように行われていることが明るみに出て叩かれてしばらくするとメディアは追求を放棄して国民も忘れていってしまうという。建築設計偽装の件でもそうでした。流石は成長を捨てて安定を取った国です。


さて、現在の高等教育が抱えるガン細胞は、大学・高校間の連携の取れてなさ、高校の閉鎖性、そこにつけこんだ塾産業でしょう。
東大入試の理数系問題はパターンだとよく言われます。でも教科書を見てみると解りますが、高校で習うのはごくごく狭い内容であり、そして教科書に出てきていない概念を用いて出題するとうるさい役人連中がやってきて文句をつけます。大学側としてはたまったものではない。結局あの極めて劣悪な教科書の範囲内で、かつレベルの高い学生を選び取ろうと努力した結果、パズルみたいな入試問題*1が生まれるわけです*2


つまり最大の問題は指導要領。最近は小学校から英語を教え始める案なんかが出ているようで。細かい指摘は明日以降に回しますが、あれを改善しない限りどーしよーもないでしょう。大学は(東大を内から見る限り)かなり良好な教育環境が整っているのに、高校の学習が全く大学へとつながっていないわけです。そこで登場するのが塾・予備校。塾で教えている内容など学問ではなくパズルのテクニックに過ぎないのですが、世間知らずの高校生はちょっとでもわからない内容があると、「やっぱり高校で教えてくれることだけじゃだめだ」と塾に頼り始めます。が、現在の高校の指導要領程度の内容を自習で理解できない人間など大学に来るべきではありません。大学とは真の学問の待つ場であり、なにより自学自習の場なのですから。


予備校が出している合格判定ってやつもおかしな話で、あれは「去年のこの模試で君くらいの成績だった人のうちこれくらいの割合の人が合格しましたよ」という指標だと思われますが、それでは個人に対する合格可能性の評価とは根本的にズレています。にもかかわらず、高校では模試やセンター試験の結果を予備校に送信し、予備校がそうして全国から集めたデータをもとに算出した合格判定を受け取って、それをもとに生徒にどこを受けるかのアドバイスをするのです。


大学は、出来のいい学生が欲しいなら、高校と連携をとって、勉強の意欲や実験の技術などを積極的に調べて点数に加算するとか、授業やテストの内容を見て、いい学生が育つように高校にアドバイスするとかいろいろあるでしょうに、怠惰によって、もしくは制度の壁によって出来ないでいる。予備校は、そこにつけ込んで大学受験から一大産業を生み出し、受験生をどれだけ有名大学に入れられたかを競っている。あんなものは手榴弾を抱えて特攻させて得た戦果を誇るようなものです(東大京大に年何十人も送り込んでいることを自慢している私立高校はほぼ全てが特攻方式です。「落ちた人数」のデータに目を向けなければ落ちた当人たち以外はハッピーというわけです)。そして高校は状況に迎合し、大学にいい人材を送ろうなどとは考えず、受験の模擬試験だけでなく、受験での小手先のテクニックや、どこを受験するのかの決定さえもを予備校に頼りきっている。高校の視察には大学の人間を招待するのではなく、教育委員会だかのお偉いさんを招待して真面目に教育をやっていますよというポーズをとる。


これじゃダメだわ、うん。
こうした閉鎖的な環境で育った子供はこういうこと言い始めるわけです。以下痛いニュースさんの記事より抜粋。

女子生徒は「私は受験科目が日本史。(未履修の)世界史は正直いらない。とにかく不安だ。土日も補習になれば(受験に)必要な教科の勉強ができない。どうしてちゃんと調べてカリキュラムを組んでくれなかったのか……」と憤る。


(中略)
栃木県立小山の男子生徒は「学校ふざけるな、と言いたい。指導する立場の先生がこんなことするなんて信じられない。前から世界史をやらなくていいのかなとは感じていた。これから世界史なんてはっきり言って面倒」と怒りをあらわにした。


帰宅後4時間は勉強しているという福岡県の県立田川の男子生徒は「世界史を必修にしていることに問題があるのではないか。進学校には時間がなく、受験に必要ない科目はやるべきではない」と語った。


国立大を目指している山形県立山形北の女子生徒は「3月まで受験勉強しないといけない。どうやっていまからもう1科目を勉強すればいいのかわからない」と不安を漏らした。


学校への同情を口にする生徒もいた。秋田県立秋田南の男子生徒は「テストを受けていない世界史の成績表には日本史と同じ点数が記載されていて変だと思っていた。だけど、学校は僕らの受験のためにやってくれたことで仕方がなかったとも思う」と話した。


なんか明らかにおかしい。まるで「この分野の学問はこれで完結しています」といわんばかりの高校教科書の書き方に問題があるんだろうけど、とにかく勉強への態度が受け身。福岡県の県立田川の男子生徒さん、本末転倒って言葉、知ってますか?こんな連中を大学に迎え入れるのは金の無駄だとしか思えません。俺が大学に来て欲しいと思うのは、上にも書いたように、受験など必死にとりかかるに値しないものだと気付き、補習があろうがなんだろうが自分のペースで勉強を進められる人間です。そういう人なら大学に入ってからも自ら学ぶことが出来るでしょうから。つーか、おかしいと思ったなら言えよ…。


まあ東大にも勉強の態度がなってない連中は多いわけですが。一年生必修の『情報』は嫌っている学生の多い教科でして、彼らの愚痴に曰く。
『エクセルやワードの使い方とかならわかるけどさー、アルゴリズムとかインターフェイスとか、コンピュータの仕組みとかなんて工学に行く人たちだけ勉強すればいいじゃん』とのこと。エクセルやワードなんて使ってりゃ解るわい。そんでエクセル使った統計分析とか始めればそれはそれで文句言い出すんでしょうね、「自分には関係ない」って。学問は専門外であろうと自分の血肉になり得ると思うんですけどね。あとは、理解できないのを講師のせいにする、未だに高校気分の学生も。東大生とはいえそんなもんです。あんな変態(http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/841083.html)もいますしね。


痛いニュースのコメント欄ではいつものことながら議論がすり替わってて「世界史などは必修科目として必要か」みたいな話になっていますね。実際にそれらの科目が有意義かどうかは教師の質に大きく左右されるのでなんとも言い難いですが、だからといって「受験に必要ない」設定にしてしまうと軒並みやらなくなって大学教育との乖離がますます加速するので大問題。まず却下。これぞ本末転倒の見本。


最後に生徒たちの処遇について。やはりここで特例を認めて卒業させてしまうのは極めて問題があると思われます。高校側の既成事実作戦にまんまと載せられてしまってはいけません。以降「特例」ですまなくなる可能性があります。どっかのレスにあったように、補習さえ受ければ卒業させてもらえるだけで十分寛大だと考えるべきでしょう。

*1:暗記力やパズルを解く能力といった「頭の良さ」は大学が本当に欲しい「頭の良さ」とは別物の力ではありますが、相関関係があるのは確かです

*2:ええ、受験生の皆さん、受験のコツはナメてかかることです。一日十時間とか必死になって勉強してる連中を嘲笑しつつ自分は効率よく勉強することを心がけた人が結局受かります。