新生徒会室に集まる次期生徒会メンバー。散る桜。成長と変化の象徴である。光香の、学園の光景は変わりません、といった趣旨のセリフは逆にこの変化を強調するためのギミックとして十分な役割を果たしている。にも関わらず、後半部で光香は、学園は変わらないけど私たちは変わろうとしています、とわざわざ喋る。
映像に語らせるべき部分をわざわざ声にして喋らせるのが「まなび」の陳腐なところであると同時にこれは評価すべきところでもあると、最終回の終わったいまでは感じる。それはひとえに声優の力によっている。「まなび」のキャスティングは単に『豪華』なだけのものでないことはもはや自明で、旬の声優たちがその才能を遺憾なく発揮した演技は素直にすばらしいと感じる。だが声優が才能を発揮するにはセリフがないとならないわけで、声優の力に頼ろうとするならばセリフの説明過多は必然とも言えるわけだ。
あ、上で書いたことと矛盾するようだけど、無声で語られるED(歌も使っていない)は効果的だった。想像力を喚起する空白。これが出来てなんで普段はあんなに説明過多になっちゃうんだろう。両極端だなあ。


スタッフロールでは美術に海老沢一男の名前が。空港なんかの背景は恐らく彼の仕事なんじゃないかなーと想像してみる。ディテールにはこだわらず、優しげでどこか非現実的な(まさしくユートピア的な)空気感の創出に専心した美術は「まなび」によくマッチしている。文字を見れば解るように、背景は常に細かく描きこまれている方がいいとは限らないのである。
反省会のシーン。右(上手)=与えるもの、左(下手)=受け取るもの、という役割分担はアニメでも一般的っぽい。ここでは、学美から受け取った想いを胸に、四人はそれぞれの道を歩き出すのである、という構図に解釈できる。


「語り方」ではなく「物語」そのものについていくつか。
パーティの準備をして待っている新生徒会役員が放って置かれたままなのはヒドい。学美→光香たちの受け渡しだけでなく旧生徒会→新生徒会の受け渡しも描いて欲しかった。
光香について。ナレーター役だった彼女が次なる物語の主人公となるという構図は、空白であり同時に多くの可能性を持つ未来を予感させる点が非常に感動的。よくある手といえばよくある手なのだけど、それでも空港での別れのシーンは好印象だった。ただし、自立の象徴として異郷への旅立ちを描くというのはわかりやすいのだけど僕はあまり好きではない。「魔術師オーフェンはぐれ旅」のクリーオウの「独立独歩って、離れて暮らしてるってことじゃないと思うんだけど」みたいなセリフを知っている人はいますでしょうか。まあ、そういうことです。


まとめ:「まなび」が結局「ufotable作品は脚本が弱い」という評価を覆すに至るものでなかったことは残念。でも一定の魅力を持った作品にはなったと思う。コヨーテは2話で切ったけど、まなびでは僕はこうして感想を書いてる。書き残したことはある(第一話冒頭のリフレインである電車のシーンとか、スタッフロールのワンカット、桃葉が製作したと思われる映画のタイトルの意味づけとか)けれど、一話から見直してから書こうと思います。