SWANSONGについて、その1@コクェモモ

SWAN SONG

SWAN SONG

あらすじは省略(知りたい方はkaienさんの日記などをどうぞ。http://d.hatena.ne.jp/kaien/20070227/p1)。
以下ネタバレ。別にネタバレしたからってつまんなくなりはしないと思いますが。


過酷な現実を前にして全てをあきらめる者、あきらめを踏破せんとする者。「人間」への透徹した視線と徹底的な描写。主人公の殺人の様子も克明に描かれる。そこに差別は無い。穢なるものの反対として聖なるものを描くのではない。この「白鳥の歌」はむしろ、それら全てをひっくるめたとても大きな何かへの賛歌である。
「人間の醜さも美しさも等しく真摯に見つめたその果てに立ち現れる祈り」
SWANSONGはこの主題における一つの完璧な形だ。
もはやこれ以上この主題で何かを書くことに意味はない、とまでは言わないが、書こうとするならSWANSONGを踏まえずに書くことは許されない、ぐらいは言っていいのでは。それほどまでに完成された作品である。
大傑作。自分は18歳以上だと思われる方は是非。


体育館の殺戮のシーンについて。ここはギャグシーンではなく、むしろ製作者の巧妙さが最大に発揮されたシーンだと感じる。
まず、視点が切り替わる際に表示される、白バックにキャラ名が黒で書かれる画面の白黒が反転していることから解るように、このシーンでは価値観が逆転している(知っている人はMOTHER2のムーンサイドを思い出せ)。「話せばわかる」という普段なら「正しい」はずの選択が「はずれ」に、「槍で突き刺す」という普段なら「間違っている」はずの選択が「当たり」にすり替わっていることが一つ。
そしてさらに重要なのは、ここまで散々「どちらが正しいとも言えない状況」を描いてきたのに、このシーンでは全てが単純きわまるイエスオアノーに回収されていること。ご丁寧に無邪気な効果音付きで。たった一つのものに支配されている者は恐怖しないし、躊躇しないし、省みない。それこそが真の人間性の放棄、真の狂気なのである。
恐らく登場人物中で田能村の次に強い人間である司でさえ、その視界の中では人が人の形を保てなくなっていく。彼を狂気から引き戻したのは、共に歩んできた仲間たちの姿だった。


あと、この話は一周目こそが真のエンディングと捉えるべき。一周目エンディングの美しさに比べれば2周目エンディングなんて霞む。


考察メモ。
作品全体を支配する「白」の意味。雪、あろえの纏うジャンパー、ピアノの白鍵、太陽、そして白鳥。
白に始まり白に終わった一周目が二週目を圧倒している理由もこのへんにあるかと。