sola 第12話「ユウメイノサカイ」


そろそろクールの変わり目なのでずっと俺のターン状態が予測されます。注意。
理知的で技巧的である分却って「分かりやすい」という欠点を抱える*1花田脚本だが、松尾衝のコンテは冴えていた。劇判のタイミングも非常によく練られている。人間関係はあくまでコンパクトにまとめ、その悲喜劇を風景、殊に空という無限遠のロングショットの内に収める撮り方がsolaの「長さ」を生んでいる、とひとまず書いておく。これは、否定肯定を越えて彼ら三人の決断を見守る優しい視線でもあるし、彼らの破滅に際して一切の救いを垂れない無慈悲の視線でもある。
通常もたれるイメージとは逆に、夜禍にとっては日の光が非日常・死の象徴である。茉莉が空を希求するのは普通の人間と同じ体験をしたいという願望と同時に、人生を終わらせる願望*2があるからだと言える。ご丁寧に茉莉が依人との会話で説明してくれた通り、夜禍であるかないかに関わらず人間は真に死を経験することが出来ない。死の体験は擬似的にならざるを得ず、天井の写真も、スクリーンの映像も虚構であることを茉莉と依人は知っているが、虚構だからといって真実を含まないわけではないこともまた知っている。このへん最終回に向けての覚書き。
境界上にいた依人がなんか悟りを開いて夜禍側に傾き、昼=日常の担い手である真名を退場させてしまってから物語は急加速してきたわけだが、さて最終回はどうなることやら。
声優の話も最終回を待つことにする。人数が少ないと逆に評価は難しくなるな。茉莉が能登でなければならないのは(理由付けはともかく)明らかなのだけれど、蒼乃が中原でなければならない理由というのはしっくり来ないのが現状である。ミスキャスティングだといっているわけではない。必然性の問題。中原上手いし。むしろ問題があるとしたら依人役の岡本信彦かもしれない。
それにしてもこれ程1クールで「終わらせる」ことを徹底してるアニメって珍しいな。理屈を捏ねてみたけど、あと一話でsolaの世界は完全に終わりになるのだと感じさせるあたりが、「長い」ことの真の原因なのかもしれない。

*1:分野は全然違うが、例えば赤松健もこのタイプ

*2:チャイルドマン先生?