意見の本質と匿名@ちぇいさー

長いことを書かせてもらう。


意見というのは何かを伝えるものである。
ゆえに意見の本質とは伝える内容だ。
これは当たり前のこと。
だから意見の価値というのは内容のみで判断されるべきである。


しかし世の中にはこれを分かってない人がいる。
内容以外にわれわれが意見の価値の判断材料として使いがちなものが「権威」だ。
「東大の教授の言っていることだから」
「よくTVに出るコメンテーターの言っていることだから」
「おもしろいSTGを作る人の言っていることだから」
これらの理由は意見の内容には一切関係ない。
例えその内容が世界を崩壊に導くものだとしても「権威」で判断すれば正当化されてしまう。
そして我々はほぼ必然的にこの「権威」というものを判断材料に使ってしまう。


なぜ「権威」で判断してしまうのか
簡単だ、それが楽だからだ。内容の吟味をしなくてすむ。
実際この世には意見が多すぎるので、簡単な判断材料があれば使いたくなるのも仕方がない。
それにこの「権威」による判断はある程度正しい。
当たり前だ。社会には競争原理があるのだから、偉い人が言う意見は今まで正しいことを言ってきた人の意見だ。
だが「権威」を判断材料に使うというのは、逆説的にこの競争原理を否定することになる。
競争原理とは正しいことを言えば誰であろうと高い地位になることができる。
逆にいくら偉い人でも間違ったことを言えばその地位から転落する。
しかし「権威」を使った判断を行えば偉い人なら間違ったことを言っても地位から転落することはない。
これでは競争原理は働かない。
「権威」によって判断しては間違った意見が平気でまかり通ってしまう。


そしてこの「権威」を判断材料から排除することができるのが事実上匿名で意見を言い合えるインターネットであり、それを徹底したのが2ちゃんねるだった。
ゆえにインターネット利用者は拡大し、2ちゃんねるはご覧のような発展を遂げた。
しかしその発展ゆえに匿名を悪用して他人の中傷を行ったり、匿名を無視してコミュニケーションを図ろうとする馬鹿者があらわれてしまった。
インターネット、2ちゃんねるというのはもともと意見を言い合う場であったのだ。(これはBlogもそうなのだが)