「負け組おんらいん」 @お子様

どーもこんばんわ。
自治会の「選挙費用」が1000円から20000円に跳ね上がっていたことを学生総会で質問しようとしたら、


自治「会計からは以上です。何か質問ありませんか?(1秒)無いので終わりとさせていただきます」
俺(ちょwwwwおまwwwww)


と軽くあしらわれたお子様です。
まぁ、こんな小さな大学で流用何てありえねぇよな。




今日は本当につまらないことを書いてみる。


〜狂気という芸術〜
少し古いブログであるが、ちょっと取り上げてみよう。(人によっちゃグロなので注意)


http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/672041.html


精神分裂病などの精神病を患った人間の書いた絵について語るスレのログである。
スレの住人は大抵、「怖い」とか「気持ち悪い」だとか述べているが、私はこの絵達に対し非常に強い興味を覚えた。
特に、スレに張られていたこちらのサイトの絵なんかは情報の授業中であることも忘れて見入ってしまった程である。(同じく人によっちゃグロなので注意)


http://www.gnosis.art.pl/iluminatornia/sztuka_o_inspiracji/zdzislaw_beksinski/zdzislaw_beksinski.htm


しかし、冷静に眺めていると気持ち悪い絵と言われているのも分かってくる。何故私はこんなものに魅かれたのだろう。


〜狂気のアーティスト〜
文系科目の教科書に「この著者の作品はこんな風に解釈できる」とたまに書かれていることがある。
芸術を大衆単位で解釈するか個人単位で解釈するかなど人それぞれではあるが、今回は私という個人単位で一つのバンドの解釈を述べさせて貰おう。


時よりこの負け組おんらいんに名前を挙げるバンドが一つある。


syrup16g


高校2年の夏に知り、もう少しで2年間。ただ一人周りから孤立して熱狂的に聴いていた。それまで聴いていたラヴェルドビュッシーやサティはポツリと途絶えた。
何故こんなにも一つのバンドを聴いたのか。
五十嵐の声が好きだとか、歌詞が美しいとか、中畑のドラムが自分の理想だったりとか、確かに色々な理由はある。
しかし、何よりもこのバンドの素敵な所はその「狂気」にあると私は思っているのだ。


遅死10.10というライブDVD、「真空」のシャウト、ステージ全体は青く、syrup16gは赤く照らされていた。
気色の悪い狂った色に染まりながら、雄叫びを挙げる五十嵐と中畑の姿は「狂気」そのものと言える。
「こいつら、狂ってるなぁ…」と思いつつ、笑みを零しながら美しさを覚えてる自分が居た。


〜狂気の具現化〜
狂気を芸術として表す。最初に挙げた精神病患者の絵や、syrup16gの歌など、芸術を媒介に人間の中の狂気を世界に放出していた
芸術として具現化した狂気に私は魅かれたのだと思う。


syrup16gの様に、音楽では叫びやそのメロディー、歌詞から狂気を表すことが出来る。
なら絵ではどうだろうか?
最も用いられる手段は「死」に関連するものを描き出すことだ。それは同時に、「グロいもの」を描くとも言えるだろう。


〜「死」の芸術〜
生物の「死」を芸術として取り扱っていいのだろうか。
芸術のために、「死」や「グロいもの」を描き出してもいいのだろうか。


実はこの話になると賛否両論となる。
「死」や、「グロいもの」を見て、不快になる人間がこの世にはたくさんいるからだ。
つまり、芸術家の意向を尊重すれば賛成であるし、芸術を受け取る側(この場合はグロいもの等を嫌う人間のことを指す)の意向を尊重すれば反対である。


身近というか最近私が見た例で言うと、「マブラヴ オルタネイティブ」だろう。
物語後半に、このゲームはやたらと人の「死」を描き始める。グロい絵が増えていく。
タバレスレで良く見られたレスは「グロいから糞ゲー」。


私はそうは思わない。芸術のために「死」を描く、「グロいもの」を描く行為は世間的に容認されるべきだと思っている。
一般大衆に合わせ始めた芸術など、最早それは芸術でない。
「死」を描く、「グロいもの」を描く行為を否定することは、すなわち芸術の創造を止めろと言っているようなものだ。


「グロいもの」を主体にした絵画を見た途端に「怖い」とか「キモい」とか「グロい」とか真っ向から否定するのでなく、それを芸術として認める態度が我々には必要だろう。
そんなことを一番最初に挙げたスレのレスを見て感じた。