○これからも頑張ってください
PULLTOPの最新作、蝶長いと評判の「遥かに仰ぎ、麗しの」を始める。あそこは名作になり損ねの良作を作り続ける実に惜しいブランドだ。いくら詰めが甘いとはいえもっと評価されてもいいブランドだとは思う。大作志向はそれほど望ましい物ではないとは思うが、べらぼうな長さも手伝ってそれなりに注目されているのは一応ファンである自分としては嬉しい。なんて歯切れの悪い喜びの文章だと自分でも思いますすみません。
ゆのはな」と比べて作業量が段違いなせいか、立ち絵が劣化した印象を受けるのはご愛嬌。とりあえずスルー。テキストに関してまず言えるのは、「我慢が足りない」ということだろう。含意する所は二つ。
ああ、以下、考えようによってはS=Rのネタバレです。



一つ。エピソードの質自体は悪くないのだが、一つ一つを掘り下げないうちに次に向かってしまっている。音楽に例えてみる。クレッシェンド、デクレッシェンドは普通それぞれ「だんだん強く」、「だんだん弱く」と訳される。ところがある音楽家が言うには、クレッシェンドは「ピアノの持続」でありデクレッシェンドは「フォルテの持続」なのだそうだ。思うに彼は「我慢しろ」と言いたかったのだと思う。楽譜をお義理で追うように、一次関数的に音が大きくなっていくだけでは味気ない。今自分が出している音、それに込められた意図が観客に伝わるのをひとつひとつ、確認しながら、我慢に我慢を重ねながら、処理していかなければならない。そうしないと音楽はブツ切れのフレーズの集合体になってしまう。物語でも同じことだ。
二つ。こっちはわかりやすい。悪ふざけの我慢だ。劇中の通販番組ではヒヒイロカネやレムリアインパクトがどうとか喋ってたりする。この手のサブカル系ネタは手軽に笑いを取れる反面、どこか異常な閉鎖空間を描きたいはずが、現実(読者のすむ空間)からの奇妙な地続き感が生まれてしまう。言ってみれば、醒める。あくまで「現実」と「非現実」の役割はそれぞれ『「劇中の」学院以外』と『「劇中の」学院内部』」に担わせるべきだったと思われる。デウスパークも無茶苦茶なら無茶苦茶なりのリアリティーが必要(どういうニュアンスかはネギま!を読むとわかりやすいだろう)な訳で、単に適当にでかい数字を並べただけでは読者は「すげー」と思ってくれない。まあ背景画のレベルが低いせいでもあるか…。なんにせよ、これでは外出日が特別なイベントであるという気分も出ない。
「我慢」ということに関してはS=Rに敵う物はそうない(結局これの話になるのか)。ただクリスの幸せを願う「彼女」が三年間にわたって維持してきた閉じた世界。「彼女」の偽装はクリスばかりか我々読者をもほぼ完璧に欺いてくれる。「彼女」とライターさんはどれほどの「我慢」を重ねたのか想像もつかない。隠蔽され抑圧された物語は、入射する「視線」をことごとくあらぬ方向に屈折させる、しかしそれの放つ水晶のごとき輝きよ!あのコントロール力は本当にすごい。
まあ色々書きましたが、俺はまだ「かにしの」を1ルートも終えてない訳で。最後には化けるといいなあ。わくわく。