@きゅーぶの誰か

プロフィールページを見ると、驚いたことにこのきゅーぶろぐもそろそろ二周年なのだそうだ。よくもまあこうも下らないネタで飽きずにやってきたものだと感心してしまう。


ただし一クールアニメが一本終わるくらいごとに読み返してみるとこれがなかなか退屈しない。どのメンバーの記事も妄想を適当に書き連ねたものではあるのだが、特に『お子様』のメイド記事など良く書けていると思う。
しかし、自分で言うのもなんだが、考えてみれば妄想は僕を構成する最重要の要素なのである。他人からすればくだらなく、暇つぶしにもしてもらえないかもしれない。それでも僕にとっては…まあくだらないとは思うが、暇つぶし程度にはなってきたのである。


そもそもきゅー部の出自はというと、いつか書いたかもしれないが、つくばにあるT高校の棋道部である。文化部には良くあることだが、なにしろ部員は僕ととある後輩の二人きりだったので、生徒にどれほど認知されていたかは疑わしいものだ。


放課後、掃除を終えて活動場所である社会科室に向かい、しばらく一人でまったりする。社会科室は僕の城だ。昼食は毎日あそこで食べた。体育祭だろうがお構いなしだ。母は出張帰りでも弁当を作ってくれたし、帰ってこれないときは自分で作ったので、購買を利用したこともない。これは僕の小さな誇りである。


見た感じ真面目そうな後輩君はよほど丁寧に掃除をしていたのか、決まって僕より遅れてきた。というか、僕が不真面目だっただけかも知れないが。おはよう、おはようございます、と挨拶を交わし(僕は朝だろうが夜だろうが挨拶はおはよう、だ)、だらだらと碁盤を出し、6時までひたすら無言で打つ。無駄な会話はほとんど無い。思い出せるものといえば、将棋で後輩君を10連敗位にしたあと、彼が控えめに、囲碁にしませんか、と頼んできたことくらいだ。それ以降は暗黙の了解で囲碁を打った。囲碁なら、腕はほぼ互角だった。


ところで、こう書くといかにも静かな環境にいたかのようだが、実際は真逆であった。社会科室のとなりには特別教室(吹奏楽部室)、さらにそのとなりには音楽室(合唱部室)があったからだ。
無遠慮に響くトランペットは、春のうちは調子はずれでも、着実に上手になっていくのが素人の僕にも解ったし、合唱部からは、なぜかあまり歌声は届いてこなかったものの、まあなんだかむやみに楽しそうではあった。


後輩君が長考しはじめると、僕は無意識に廊下を眺めていた。


彼らは僕に気付いていたかすら怪しいが、少なくとも僕にとって彼らは身近な隣人だった。いたずら心で春色吐息の体験版を打楽器の群れに放置してみたときは吹奏楽部の男子が罪を着せられていたようで笑えた(最低だ)。


あの特別棟三階はいつも嵐が吹いているようなもので、僕は台風の目にいた。空虚な中心から外縁を観察し、そして1年半の時を過ごすうち、いつしか彼らは僕の中に住むようになった。初めは不器用な模倣であったが、それを指摘し得る人間がいないことに気付くと模倣は模倣である根拠を失い、本物になり始めた。ブログを始めたのも、彼らの声の吐き出し口が必要だったからだ。
まあそんなわけで、冒頭に下らないネタ、と書いたのは伊達ではないし、もし読者の皆さんの中に、一つのはてなのアカウントを複数人で使うのは規約違反なんじゃないか、と心配してくださる方がいらしたとしても、それは杞憂というものである。


外から見れば、一人の人間に見えるだろうから。



というわけで、はてなアンテナ欲しい!