良いこと言った。@コクェモモ

○『「集まれ昌鹿野編集部」で小野坂昌也が「声優を信じてあげて欲しい」と訴えたらしい』 :声優ウォッチ! さん
http://blog.livedoor.jp/blur66430/archives/50825938.html

まあ、そうだよね。考えてからものを言え、っていうのはこの問題に限らないけど。なんで皆そんなに誤解したがるかなあ。
あと、この発言を聞いて、お前が今さら言うなw、と言いたくなる人もいるだろーけど、まあそこは冗談と本気の境界線の違い、ということで。
追記。本気でどうでもいいことだが。アニスパを聴いていると、今回の騒ぎが起こったとき浅野真澄スレが「平常運転」だった理由が良く分かる。ブログ?あんなのますみんじゃないやいっ。…なんだかファルルートをやり直したくなってきた。浅野真澄めっ。大好きです。



○ぼくらの 第10話 (6/12)
今期ベストキャスティング賞有力候補。いや、もちろんカードパワーで言えばアイマスが最強なんだが、プレイングテクニックにおいては「ぼくらの」が輝いてる。
戦闘シーンのカタルシスはあんまり無いんだけども、そこはむしろ狙ってやってるというか、自然にそうなっちゃうというか、要するに、監督は恐らく「カッコよく死ぬ」というシーンを作りたくない。

 最後に、チズのキャラクターについて書きます。皆さんが思うほど、私はチズを変えてしまったと思っていません。あの、アンニュイな雰囲気、実は素直で可愛い一面。
 ただ、カッターナイフでカコを殺すシーン、あの妙なかっこよさだけは許容できませんでした。私には、畑飼に騙されて気が狂ってしまった彼女がついやってしまったこと、としか理解できないのです。

森田監督のブログから『「ぼくらの」8話によせて』
(http://blog.goo.ne.jp/moriphy/e/54a1fa2b00d1aef95e0dfda9a7b4194e)
いや、これは死ぬときじゃなくて殺すときの話だけど。
納得して死のうがいつの間にかコンクリの下敷きになって死のうが、死ぬことに変わりは無い。それどころか、ジアースのパイロットになど選ばれなくても、人はいずれ死ぬ。子供たちの人生に意味があったとするなら、それは「悪い敵と戦ってカッコよく殺す*1/死ぬ」ことではない、と。
先週も書いたけど、今のパイロットと次のパイロットへとバトンタッチしていく流れ、形を変えながら何かが受け渡されていく一つのライン*2が意図的に作られていることには留意したい。ナカマの作ったユニフォームを、モジは受け取らなければならないのである。そして、それらを受け取ることを拒むであろうウシロ。多分最後の操縦者。
名前も重要。今回なんかは露骨だけど。名前には意味がある。車種名から持ってくる*3とかいうのは、僕はあまり好きではない。勿論、後から見出される意味というのもあるだろうけど。
また、今回は初めて異なる世界(?)での戦闘となった。操縦者の数を表す光点がこれまで倒してきた敵にも付いていたことと合わせて考えれば結論はひとつである。子供たちを唯一特別ならしめていたジアースも相対的な存在に変わっていく。容赦無い。ホントに。ああ、原作買わなきゃなあ。
あと、森田監督のブログに脊髄反射としか見えないコメント書いてる人、もうちょっと考えてから発言しません?いや、ここで言ったって無意味なのは分かってるけど、向こうのコメント欄に直で書き込んだら無意味どころか有害なんだもの。荒れるだけ。森田監督が愚にもつかないコメントにまでいちいち返答しなければ言いだけの話ではあるけれど、それでもやっぱり折角労力を割いて返答してくれてるんだから、どうせなら価値のある受け答えが見たいのですよ。
追記(06/13)。森田監督のブログ「「ぼくらの」10話によせて」更新。もうあのコメント欄は読んでても胸糞悪くなるだけだから読まんけど、「原作どおりにやれ」ってのはどういうののことを言うんだろう?京アニ路線?アレのどこが原作どおり?いずれにせよ、批判の筋として「原作と違う」だけではお話にならない。森田監督の発言は(売春云々のあたりは一考の余地があるものの)一通り筋が通っているので、批判するなら衝動的な暴力や「名誉の戦死」が正当化されうることを言わなければならない。古来少年少女がロボットの操縦者に選ばれて戦うというストーリーは根本的に矛盾や皮肉を含み、例えば富野監督はそのことに非常に自覚的だった(と聞いている)。その線で読むなら、実直にテーマに向き合ったいいアニメだと思うけどなあ。
あとは「原作が嫌い」という発言自体への批判っつーかイチャモン?そりゃ確かに、もしテキトーな仕事した上で原作が嫌いであることを理由にそれを正当化しようとしたなら問題だろうが、実際にはちゃんとその原作への疑問を消化してアニメーションに組み込んでるじゃない。それともはっきり物事を言うこと自体が気に食わないのか?職人は黙って自分の仕事をこなすのが正義?それもどうだかなあ。
ああそうか、彼らには『アニメ版「ぼくらの」は駄作だ』、という命題が前提条件としてあるから「原作が嫌い」という発言自体も正当な批判対象になるのか。脊髄反射の前提条件と遠大なトートロジー。やっぱりもうちょっと考えてから発言しろという話に尽きるかな。

*1:敵もジアースと同じような立場であることはもう疑いの無い所だろう。もはや「倒す」ではない

*2:「一つの」と言ったってそれを浮かび上がらせるためのアプローチは複数試みられているけど

*3:無論、レイアースの話である