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今週の少女メディア研究の講義レポート2回目。
一回目の講義はこちら
抽選のおかげもあってか受講者数は前回よりもかなり減って、座席の8〜9割くらい。
(それでも普通の講義から比べたらかなり多いが)
人数自体は減っていたが今回は晋遊舎のWindows100%という雑誌の記者が来てた。
ネットで話題だったから来たらしいが、日本オワタ\(^o^)/を実感せざるを得ない。
今回の講義は前回の外人(女)の講師と、J大学の大学院に勤める外人(男)の講師の2名によって行われた。
講義のテーマは『欧米の「少女マンガ」』だったが、内容はほとんど日本と欧米のBLややおいについてのものだった。
講義の前半は外人(女)講師による少女漫画の歴史、講義の後半は外人(男)講師によるBL、やおいについて。
以下にその内容をまとめる。
前半のまとめ
「マンガ」としての少女マンガから「少女」を重視したマンガへの変質
「少女」というカテゴリは3次元(現実)の世界において属する人間を持たず、消費文化との結びつきによってメディアによって作られた架空の存在。それゆえ昭和初期ごろでは「少女」は「娘」や「乙女」とどう違うかではなく、「少年」とどう違うのかということが重視されていた。典型的な「少女」は受動的でありまたナルシストであり、生産性*1や消費性からはかけ離れた存在である。また少女マンガも普通のマンガ(少年漫画とか)とは異なっており、コマ割などからその違いを読み取ることが出来る。
「少女」を重視したことによってキャラクターに自分を投影(感情移入)が可能になり、作品ごとの人物の区別をそれまではアクセサリーや服といった物理的な記号に頼っていたものを表現そのものから区別することが出来るようになった。(他者の排除)
西洋との比較
80年代初頭から日本では西洋もののマンガが増加するが、中身は実に日本的。そこから西洋人へのコンプレックス(肉体的な記号=長身、瞳の大きさ?)をみることができる。
海外(ここでは主にアメリカ)のマンガは低年齢層向けのマンガか成人男性向けのシリアスなマンガが中心で、ティーンエイジャーや女性向けのマンガはほとんどなかった(70年代には少なくとも存在せず)。女性向けに男性が作ったマンガは存在したが、内容が反ロマンチックであり、恋愛の要素を省いて女性の持つパワーを描こうとしたために人気が出ず、60年代ごろに衰退した。90年代に入り、日本のマンガによって女性マンガの再評価が行われ、ロマンスを中心としたマンガも評価されるようになり、また描かれるようになっていった。こうした日本マンガのブームの火付け役となったのがドラゴンボールやセーラームーンであるが、はだしのゲンは70年代にすでに各国で読まれていた。また海外のマンガファンにとって日本マンガのクラシック的な存在はドラゴンボールやセーラームーンであり、ベルサイユのばらはそこに含まれていないということに注意されたし。
日本では高橋留美子は少女漫画家として捉えられることはないが、欧米では高橋留美子は少女漫画家として認知されているらしい。高橋留美子の描く女キャラは(萌え的な要素に限らず)魅力的?
日本のマンガは右開きで、コマ割りもセリフも右から左に向かって読むが、海外用に翻訳されたマンガは左開きでセリフは左から読むのに、コマ割りは右から行われているため違和感があるらしい。個人的にはマンガを読んでるときの流れも悪くなってしまうので、あまり楽しめないと思うのだが・・・。その点ブリーチやナルトは大ゴマ(見開き)連発セリフも少なめで読みやすそうですね。
日本マンガのグローバル化は少女マンガのおかげ?少なくともドイツにおいてマンガ読者の大半は女性。
90年代初め、モーニングで外国人漫画家の起用を行ったが失敗。視覚効果や読者層が合わなかった*2ことによる。
ドイツ人のゴスロリ+サッカー(スポーツ)という発想は日本人には思いつかない?*3
最近では少女マンガでもBLややおいに代表される記号性が重視されている。リアリズムだとか女性解放だとか社会メッセージだとかはあまり好まれない。
欧米では少女マンガとやおいマンガを激しく区別。
講義後半のまとめ
やおいの歴史
1961年 森茉莉によって男同士の恋愛小説が執筆される。
1970年代 24年組の登場
1974年 萩尾望都著「トーマの心臓」
1975年 第一回コミックマーケット開催。参加者の8割は女性
1976年 竹宮恵子著「風と木の詩」
1979年 雑誌「JUNE」創刊
(ここから先はメモできませんでした。すみません)
アメリカと日本のマンガ市場
アメリカでは80年代ごろからマンガ人気が始まる。2003年以降は毎年100%の市場成長率を誇り、2005年お市場規模は2億700万ドル。
一方日本は出版物の4割をマンガが占めるという、マンガ大国。1995年の時点で市場規模は60億ドル。
日本の人口はアメリカのそれの半分ということを考えると、いかに日本でマンガが読まれているかがわかる。
日本とアメリカのマンガ層について
日本では20から49歳の女性のうち42%、10代の女性のうち81%が少女マンガ読者。
BL、やおい読者は2003年時点で推定50万人。
アメリカでの週間少年ジャンプの読者20万人のうち約3割が女性*4。2003年アマゾンにおけるマンガ売り上げ5部門のうち3つがやおい系マンガ。ただしアメリカでのやおい系マンガは「買う」よりもスキャンレーションされたマンガを「共有」するのが主流。またアメリカでは同性愛者は差別される傾向にあり後ろ指をさされる存在なため、出版社側もそういった雑誌の出版を避けたり、コミケのようなイベントも小規模な傾向にある。そのため日本のやおい市場に期待している?
では昔からゲイキャラクターは存在しなかったのか?
X-menのNorthstar。ただしゲイキャラクターを前面に押し出してのキャラクターとしてではなく、政治的平等性を訴えるためのキャラクターであったため、リアルなゲイ描写が行われることはなかった。
二次創作
スラッシュ。「スラッシュ小説」と言うように文字が中心の二次創作。原作は実写のテレビやドラマを基にすることが多い。またカップリングを行う際に、そのキャラ同士のカップリングの根拠を原作中に必要とするため、タブーとなるカップリングが存在する。
やおい。アニメ、マンガ、ゲームを原作とする、絵が中心の二次創作。カップリングは作者の好みによって決まり、タブーとなるカップリングは存在しない。公の目に触れることは行わず、仲間同士でカップリングについて議論する。
二次創作が生まれるまで
従来のマンガはストーリー性を重視。しかし、ストーリーだけではファンタジーを満たされない層が出来てくる。
そこで物語性が薄く、萌えキャラによるマンガが登場してくる。しかし製作側から与えられるものだけでは満足できない人もおり、そういった人は二次創作を行うようになる。(市場参加者全体のプロシューマー化)
日本のやおいとアメリカのやおい
アメリカ人の描く「エロティック」な絵では日本人はそんなに萌えない。
アメリカは3次元的(写実的)なことに由来する?
日本では子供の頃からマンガに接する機会が多いから腐女子になる人数も多く、やおいもいたる所にあるのでファンが自由に二次創作を行える環境が整っている。また日本の腐女子は何だって楽しむ*6。例えば「ブッシュ×小泉」とか「WW2中のドイツ×日本」等、この場合でいえばそこに政治的メッセージは全く必要なく、キャラクターに萌えることができればそれでいい。政治の話に全く興味がなくても、「萌え」ならば永遠に話を作ることが出来る。
アメリカでもマンガを読む人口は近年上昇中。やおいもあるよ。
今回の名言
「I'm Gay!」
「我慢できないからやりましょう」