※注意※
ネタバレ絶好調だよ!




○al fineサイド終盤
1/14。アーシノ「……怖いな、女は」
俺が言いたい。
だが、嘘つきを見つけて糾弾することは、恐らくこの物語を読み解くのに何の寄与もしない。


○4つ目のグッドエンディング(ニンナのいうことを聞かなかったとき)、終了。
2/2
最後に一度だけ、三人称視点(といっていいのかどうか)になることの意味は?
雨の中にも、降り注ぐ光はある。
何が幸せで、何が不幸か。誰のどの嘘が招いた結果か。
少なくともいえること。al fineサイドの中で、これまでのあらゆるものが意味を変えた。
困る。


○誰が嘘つきだ?
トルタは嘘をついていた。ファルもリセもフォーニもアーシノもニンナも双子の両親も。
じゃあ、クリスは?もちろん、彼もだ。
ただし彼の嘘は質が他と異なる。他人にではなく、まずなによりも自分に、嘘をついているという点で。
でもやっぱり、嘘つきを責めることに意味はないと思う。皆、優しすぎただけなんだ。
ここから必要な鍵は、da capoサイド全て。雨ゲージ(「現在の雨量」って冗談で書いたけど、あながち間違ってもいなかったな。3つ目のグッドエンディングルートの1/1ではすごく低くなってた)。そして、エンディング分別だろう。


○とりあえず思うこと
名作って、紹介に迷うんだよね。
一文一文に明確な意図がこめられているから、言葉の足りない俺たちは、誠実に紹介しようと思うなら作品そのものを渡すしかない。困ったもんだ。
このS=Rも、一見して全てに意図があるということだけは解る(どういう意図か、は別として)んだけど、一箇所例外が。ミサについての説明。これはどうなんだろう。


○とりあえず思うこと2
予想通り、ファルエンドの感想をまるごと書き直さなければならないようだ。


○とりあえず思うこと3
実際、文学なんかでも「単に似せる」ことは有効な批判の手法なのだが…
鏡を見たときに、自分が何者であるかという意識がゆらぐことは、現実にも起こることである。そんなことねーよと言う人がいたら、それは普段は、鏡の別の(いわば実用的な)役割に意識が向いているからである。何の意図もなくふっと鏡をのぞいてしまったとき、決して見ることの出来ない筈の自分が突然、醜さも何もかもそのまま眼前に現れたとき、人は必ず戸惑う。そして自分がこの世界にいる必然性がないかのように感じてしまう。
アイデンティティーの不安に常にさらされているという点で、双子というのは面白い関係だ。トルタとアルは、クリスに「みられる」ことによってアイデンティティーを確立した。具体的には、歌と料理という得意分野の棲み分けに代表されている(某ホスト部の双子と藤岡ハルヒの関係に似ているが、あっちの双子はずっと「みて」くれる人がいなかったせいでヒネてしまっている。かわいそうに)。
トルタは一見強いように見える性格に、アルは一見弱いように見える性格に育った。そして一見弱いアルを選んだクリス。彼が双子のどっちも好きだというのは多分本当だった。ゲーム開始時点では、既にどうしようもない嘘になってしまっているとしても。
この一つの勘違いと、後に起こる一つの事故、そして無数の嘘の連鎖。果てにトルタは、アルになろうとしたが、彼女はそこまで強い人間ではなかった。
なんて悲しい物語だと思う。だが、オープニングで謳われているように、悲しいだけの物語では、ない。


○気を取り直して選択肢に戻る
ニンナの言う事を聞いた選択肢。トルタが、トルタとしてクリスに会う。ついに雨ゲージが0に。
止まない雨はない。終わらない物語がないように。永遠に生き続ける人がいないように。
悲しみに満ちたお話なのに、この終わり方をすんなりと受け入れることが出来る。不思議な話だ。


○フォーニルート読了
・クリスが面白いこといってる。

フォーニの言うとおり、嘘はあまり得意な方ではない。
というより、好きではないといった方がいいだろうか

ただし、それに対して質問されると、また新たに嘘をつかなければならなくなる。
その連鎖が、嫌だった。
中途半端と言われればそれまでだろう。

あまりにも黒すぎて笑えないブラックジョークだ。
・アルの状態とフォーニの存在は何か関係が?
「音楽は、音を楽しむこと」→フォーニ「懐かしい言葉だね」
・はい、フォーニルート…と言っていいのか?まあわかりやすいからいいか。終了。
上の疑問も解けた。
あと、嘘つきリストに自然とアルも追加される(繰り返しすぎだが、嘘つきを責めるつもりはない)。
はあ…終わってしばらく、放心状態。その後、ちょっとした違和感を覚えた。
一見「最善」に見えるこのルート、なぜda capoにあるんだ?
視点の都合上とか、そういうことではない気がする。
真の終わりとして提示されているのは、やはりal fineなんだ。


○digital picture discの中身も全て読了
残る疑問と感想
・グッドエンディングの条件は?
どの選択肢を選べばいいとか、そんな話じゃなくて。どうして片方をグッドと呼べて、片方とバッドと呼べるのか、という話。
「否認」と「否定」の違い、という言葉がふっと頭に浮かんだ。違うのは解ってるんだけど、いい線行ってるような気もするんだよね。
・フォーニは、どういう存在なのだ?
ニンナはフォーニの歌を最初から聴けたっぽい。四回目の訪問では、二人の間にどんなコミュニケーションがあったのかな。
・アーシノは、かわいいねえ(半ば本気)
・あ、ファルシータってそういう意味だったんだ。


岡崎律子さん
今愛蔵版に付録のアレンジアルバムを聴きながら、長谷川智樹さんのコメントを読みながら、泣きそうになりながら、書いています。
俺が岡崎さんの名前を知ったのは、円盤皇女ワるきゅーレ第一シリーズで流れた挿入歌ででした(岡崎さん単独ではなく、メロキュアとしてですね)。
それをきっかけに、いろんな曲を聴いて。あの報せをネットで見たときは最初、悪質な冗談だと思って流してた気がします。
岡崎さんの話をS=Rの話にからめて書くのは無粋もいいとこだと思うんでやりませんが、今更ながら、もう一度ご冥福をお祈りします。